竹林のひと

中国留学をしていました中国のことを書いてます。読みやすさを考慮していません。記事はアップしてから修正する派です。

中国器入門 博物館でドヤろう

器はお好きですか

 

私はそれなりに好きです

 

器の魅力は、「変化していくこと」だと思ってます。必要であり、実用的であり、時には権威を表すものであり。また、色や形はその時代の文化やよく採れた素材を反映します。いいね!

 

そして、博物館とか行って1番よく目につくのも「器」

 

ところで皆さん

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こちらは、上野国立博物館、東洋館貯蔵の「饕餮文瓿」とおっしゃるそうなのですが、皆さんこれで、「あーなるほどねはいはいわかる」ってなります?

 

また、旅順の博物館に行った時、こんな表を見つけました。

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青銅器の様々な造形美について。

(画質が悪くぼやけてしまった)

 

フーン、すごいじゃん(わかんない)

 

展示を見るのは好きなんだけど、何が何だかわからん。何をどう見ればいいん?この形だと何でこの呼び名になるん?どこが特徴なん?

こういう状況に割と直面する。

 

せっかくだからちょっと詳しくなりたい!

というわけで器の形の分類分け、形の見るポイント、模様、使い道などの視点で見ていきたいと思います!!

 

今回は春秋戦国時代までの、あの全体的に土色緑色の、カラフル要素なしで1番見ててわかりにくい分野(即ディスり

つまり、

「「「青銅器」」」

についてです!

 

《器のざっくり時代の流れ》

 

まず、最初の頃、黄河文明土器を使うようになります。

彩陶、黒陶、灰陶の時代ですね!

この頃、土器の役割は

①貯蔵する為の容器

②火を使う為の炊器

の大きく二つ。

 

殷代中期 青銅器が出てきます。

薄くて小さく、模様は簡単なものが多いです。

 

殷代の最盛期

酒を扱う器が多くなります。

賑やかにお酒を飲んでいる豊かなイメージがなんとなく湧いてくる!ザ最盛期!

 

この頃には器は、宗教とか儀礼の為の祭器だったり、権威の象徴としての役割が増えてくる

 

青銅器持ってる=権威の象徴って、やっぱり青銅器は貴重なものだったんでしょうか

 

それと、時代が進むにつれて青銅器はどんどんサイズが大きくなっていく傾向がありました。

 

さて、《青銅器分類わけ!》

 

青銅器の分類は、何やら色々ありました(雑

とりあえず文字を並べておきますと、主に

 

①酒器             酒を扱う為のもの

・容酒器  酒を入れる

・飲酒器  酒を飲む

・温酒器  酒を温める

②食器    食べ物を扱うもの

・炊蒸器  食べ物を蒸す

・盛食器  主に神に捧げる時に使う

③水器    水を扱う為のもの

④楽器   音を鳴らす為のもの

⑤兵器   戦の武器

⑥車馬器  馬や車についていた具

⑦度量衡  重さや長さを測る為のもの

 

 

と、まあ色々ありました!

見てほしいのは、酒、食べもの、水などを入れていた、ということ。

また、酒を飲む用、食べ物を調理する用、盛る用、があった、ということです。

 

 

今回はですね、後半が気になる人には申し訳ないのですが、入れ物というのか、器系?だけをやろうと思っております。その為④以降は取り上げておりません!あしからず。

 

気を取り直して青銅器の形を見ていきましょう。GO

 

容器の見方。

まず初めに容器の見方についてやろうと思います。

容器の形を観察する時、「この場所にこれがぁー」っと、位置を伝える手段として、容器を身体の部位と同じ呼び名で呼びます。主には、口、耳、肩、胴、などです。

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右は個人のイメージです

 

 

酒器

・容酒器

壺(こ) 尊(そん) 罍(らい) 卣(ゆう) 盉(か) 兕觥(じこう)

 

壺(こ)

やや開いた口

両肩に一対の耳があり、持ち手の役割をします。

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尊(そん)

尊という呼び名は元々酒器全般を指すものでした。

ラッパみたいに開いた口が特徴的で、しっかりした台が付いています。

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罍(らい)

蓋が付いていて、肩がしっかりと張っています。

そして、両肩には輪が付いています。

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卣(ゆう)

蓋が付いていて、酒がたくさん入る膨らんだ胴を持っています。

吊り手が付いているのでここを持って運べます!

また、口が注ぎにくい形にもかかわらず注ぎ口もありません。勺を使って酒を汲み上げ、爵(飲酒器の一種)に移した、と考えられています。

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瓿(ほう)

こちら最初の例に出した器はこれでした。

卣と用途は同じ、勺で汲み出し爵にうつす。その為、形もほぼ同じです。違うのは、瓿は持ち運びをしないので、持ち手がない。

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盉(か)

鼎や鬲に注ぎ口をつけた形をしています。また、取手が付いています。

鼎や鬲と同じように脚が付いているということは、温める役割があります。

酒と水や草など他の成分を温めて調合していました。古代熱燗ミックス!

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兕觥(じこう)

怪獣形の尊 羊や牛や馬やらの動物の形で作られる。

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飲酒器

觶(し) 觚(こ) 爵(しゃく) 斝(か)

 

觶(し)

コップ状のもの

口が広がっている

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觚(こ)

筒形の酒杯

口はラッパ状に開いている

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爵(しゃく)

雀を象ったもの、らしい。

流という注ぎ口があり、注ぎ口の縁に二つの柱がついている。

三角の形をした尾、の部分に取手がある。

三本の脚を持つ

先程の卣は、勺で卣から酒を汲み上げ、爵に移して飲んだという。

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斝(か)

爵にやや似ていますが、注ぎ口の「流」とその正反対につく「尾」が無いという点で違いがあります。飲酒器の中で最も古いものとされています!土器時代の灰陶の時に出てきたあの形は斝に分類されます、確かに似ている!柱はないが

形の特徴は、口が丸く、三本の脚があります。

酒を温めることができる「温酒器」です。

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食器

炊煮器

鼎(てい) 鬲(れき) 甗(げん)

 

鼎(てい)

主に肉類を煮ました。三本の脚があるので温め自由です。

鍋形の胴、一対の耳があります。

耳に棒を通してものを温めたとされます。あの可愛い耳みたいなのはその為にあったのね

また、鼎は権威の象徴とされていて、身分によって所持できる数に決まりがありました。

 

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これのカクカクバージョン「方鼎」も馴染みがある!

 

鬲(れき)

三本脚を持ち、中はふっくらと空洞になっています。お尻みたいで可愛い

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甗(げん)

上部に甑(読み:こしき、これを竹や木などで作ると蒸籠:せいろになる。)、下に鬲を持った合体青銅器。蒸気によって食べ物を蒸します!

調理方法も然り、この容器は饅頭や包子作りの大御所かな??!

 

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超余談ですが、この写真左のモノ、上は蒸籠で、下は火を入れて北京ダックの皮を温めているんですけども、もしかしたら、これも甗の一つなのかも、なんつって、めちゃくちゃ祖先が甗なのかも、なんつって。

 

盛食器

簋(き)

高台が付いている。ふかした米や粟などを神に捧げた。

お椀状の器に圏足がついている。

耳や蓋が付いているものも、ある。

後半には口がすぼんだものも登場する

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盂(う)

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口が広くて鉢形、取手と高台が付いている。

簋(き)に似ている

 

 

水器

・盤(ばん)匜(い)鑑(かん)

 

盤(ばん)

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匜(い)から注がれた水を受けるための道具

 

匜(い)

(カレー入れるやつみたい)カレーではなく手や顔を清めるための水を注ぐ為の容器 注いだ水を受けるのが盤だった

先程の酒器にある兕觥(じこう)から変化してこうなった!逆にシンプルになったんか?

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鑑(かん)

氷を入れて食べ物を注いだ。

水鏡としても使われた!

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容器はここまで!

後半ややしんどかった笑

 

さて、青銅器を見る上で最後にあともう一つ、ここだけ抑えたら一気に博物館のものを見るのが楽しくなる!

 

模様について 

 

饕餮文とうてつもん

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佐々木 仁「中国古代青銅器の器形と文様について」より。

 

このいかにも「怪獣顔」って感じのやつ、饕餮紋と言います。殷周期の青銅器に表された特徴的な模様です。

 

二匹の動物を左右対称に配置した怪獣文様と定義されています。一匹の正面顔だと思ってた

これは、宗教的儀礼のための祭器に彫られている例が多かった。模様そのものに魔力を込めていた、と考えられる!

 

この所狭しと描かれた生き物の文様、原始的造形には空白を恐れる「horror vacui 」という共通特色がある、とのことです。人間の心理として、何か模様がないと落ち着かない、というものがあったとは!この心理は「装飾」をつける重要な原因の一つとされているらしい、確かに、装飾って一見必要ないものとされてもおかしくないのに、装飾って、どの文明どの文化にも存在しますよね、面白い

 

さて、饕餮はだんだん崩れていき、さまざまな模様に派生していく!

 

・もう一度…試しに鑑賞

 

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いやーもう、!疲れた

 

最後に、最初に出したこの青銅器をもう一度見てみましょう。以前よりわかる様になったかも?

 

もう一度言うと、この青銅器は、

饕餮文瓿」(とうてつもんほう)と呼びます

 

饕餮文は、怪獣の顔をした模様のことで

瓿が、器全体の形。瓿(ほう)の特徴は、卣ににているが、持ち運びをしないので持ち手がない。もちろん持ち手をつけない、手でも持ち上げないので、耳も必要ない

 

 

せっかくなのでもう一つ、ついでに。

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こちらは、「饕餮文鼎」(とうてつもんてい)

おなじみ饕餮の文様。

形は鼎 棒を通すために付けられた一対の耳と、炊煮器として食べ物を火にかける為に高さをこさえた三本の脚がついてますね

 

 

やってよかったけど疲れた

以上!

 

 

 

出典 

佐々木仁「中国古代青銅器の器形と文様について」

Wikipedia「青銅器」

上野博物館 東洋館 

今からおまけ中国史です2.5春秋戦国時代の諸子百家②

今からここは中国史です2.5

諸子百家後半行きます。

 

陰陽家

メンバー 鄒衍(すうえん)

 

陰陽家は、宇宙の摂理や人間社会のあらゆる現象を説いた思想。

 

実は私この陰陽五行について考えるのが一番好きだ!

これは天文学とかそういうの好きだし。

あと、陰陽五行の考えは漫画やゲームにも結構出てくる。

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『地獄楽』より

 

 

あと私はなんとなくポケ〇ンぽいな、と思ったりもする。もちろん厳密にはズレがあるので感覚で聞いてほしい。だいたいわかってきただろうか。

話を続けていきたい。

 

この世は陰と陽に分けられる(陰陽)

それと、

木、火、土、金、水の五つの要素(五行)で説くことができる。

これが「陰陽五行説」。

 

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とてもわかりやすいので、はるらすまいるさんの画像を拝借致しました。

 

相手を強化する「相生」

相手を消し去る「相剋」

の二つの関係性があります。

 

相生では、

木は火を生み出し、火は燃えて灰や土を生み出し、土は土中に金属の元があることから金を生み出す、金は表面に水を生み出し、水は木を育てる。

一方相剋では、

木は土から養分をとり、土は水を濁し、水の流れをせきとめ、水は火を消し、火は金属を溶かし、金は木を切る。

 

とこのように一周するようになる、と考えられた。

 

他にも、五臓、五季、五色、五味などいろいろな応用がある!

わかりやすいなと思ったのは五志、これは、心の関係性。

 

 

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相生では、喜びは思考を生み、思考は悲しみ、悲しみは恐れ、恐れは怒り、怒りは喜びを生む。

一方の相剋がすごいなと思った。

喜びは悲しみを打ち消し、悲しみは怒りを消し、怒りは思考を消し、思考は恐れを消し、恐れは喜びを消す。なるほど〜

 

 

また、陰陽五行の陰陽については、こんな感じです。

 

あらゆる物事を陰と陽にわけている。季節で夏は陽、冬は陰、などのように。

もちろん太陽は陽、月は陰だ。

一見当たり前に思うような分類分けだけど、案外独特な考え方だとは思いませんか?ヨーロッパにはあまりない発想で、アジア的だなと思います。

 

友達から聞いたものだが、食べ物にも陰と陽の食べ物があるという。

食べ物の中で、

陰気が強いものは身体を冷やす。

陽気の強いものは身体を温める。

しかしどちらかの特性のものばかりを食べ過ぎると身体に支障をきたすらしい。

炎症系の支障をきたしたら陽のものを食べるのは控える、だったかな。

 

中国の红枣ナツメや、生姜は陽気が強いものだ。たしかに身体がポカポカになりそうな食べ物だ。日本人のわたしたちにも何となくわかるような気がする。

 

 

縦横家

メンバー 蘇秦 張儀

これは春秋戦国時代末期に大論争の主軸となったであろう思想。

この蘇秦張儀の思想は全く異なる。

 

この辺は中国史3の流れで見た方がわかりやすい

春秋戦国時代末期に起きたこと、そう「秦の強国化」である。

つよい国がわんさか散りばめられ、それなりの均衡を保っていた春秋全国時代、気づけばその中の秦が強くなり、秦vsその他6国という構図が生まれる。

こうなった時に、「秦に対してどう接するか。」これがテーマになった。

 

そこで縦横家さんの登場である。

合従策の蘇秦さんと、連衡策の張儀さん

 

合従策は、秦以外の6国が同盟を組んで秦に対抗する。という考え。

 

連衡策は、秦と同盟を組んでやっていく。という考え。

 

この二種間で論争になりましたが、その論争も虚しく最後は秦がしらみつぶしに国を丁寧に倒していき、統一して秦王朝ができます。

 

 

いろんな思想が絡まり合った前5世紀!なかなか面白いですね!

これらの思想は今後も発展していって近代でも謎の進化を遂げたりします!

そして、中国は宗教というものでなく、「思想」というものが多く国の文化や発展に影響しているということがなんとなくわかった気がする!!

 

以上!

お疲れ様でした!

 

 

今からおまけ中国史です2.5春秋戦国時代の諸子百家①

今からここは中国史です2.5

春秋戦国時代諸子百家

 

 

思想の話をするぞ!!

 

 

 

国史3でもお話ししましたが、各地に強者が点在するこの春秋戦国時代、他国との駆け引きや思想の方針の手助けとして、諸子百家はいろんな国を回りながら助言をし、貢献しました。

 

また、実際に中国で暮らしたり、文化のことを調べたりすると、そんな諸子百家の思想は現代中国の文化や習慣にも深く浸透しているなあと思います。

 

今日はそんな諸子百家についてのんびりと考えていこうと思います。

 

さて、実際にどんな諸子百家がいたのか。

 

有名なところとしては、

儒家

道家

法家

墨家

陰陽家

縦横家

などが挙げられます。もっとたくさんいたと思いますが

特に儒家道家らへんは有名なのではないでしょうか。

それぞれ見ていきまっっしょう!!

今回は儒家墨家まで!

後半で陰陽五行以降やります!

 

 

 

 

儒家

メンバー 孔子 孟子 荀子

キーワードは「仁徳」

言わずと知れた儒家サンチーム!

大事なのは親への孝行や兄などの年長者を尊敬すること。仁徳の実践!

 

やさしさにあふれてるような気がする。なんとなく

特に年長者に対する尊敬、というのはその後の王朝統治において、一番偉い皇帝を尊敬しなさい!という方向でとても便利だった。これによって儒教は国教としての脚光を浴びる時代も!

 

余談、一月にいろんな飛行機に乗って旅行をした。その一つの会社の機内には、等間隔に孔子論語の一説がめちゃくちゃ貼られてて面白かった

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私の座席の教えは

子曰「不患人之不已知。患不知人也。」

 

孔子曰く、「相手が自分を知らないことを憂うな。自分が相手を知らないということを憂え。」

 

 

だそうです。

 

せっかくなので中国で出会った孔子のおことばをもう一つ

 

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南京にある夫子廟(孔子を祀っているところ)にて引いた孔子おみくじで出てきた格言

 

「述而不作 信而好古」

「述べて作らず。信じて古を好む」

私は何か新しいことをしているのではない。昔の礼法を信じて好んでいるだけなのだ。

 

温故知新の類ですね

ありふれた物の中から自分の好きなものを選ぶ、これも自身の個性の一つだと思います。

 

昔からいろいろ考えさせられますね

 

 

さてそろそろ弟子について。論語を書き残したたくさんの弟子がいますが、同じ儒家として個性的な思想を展開したのは孟子荀子の二人。

 

孟子は、人間は生まれながらにして善だからやさしさで統治していこう、という「性善説

荀子は、人間は生まれながらにして悪だから武力で統治するのがよい、という「性悪説

 

 

(仲悪そっ

 

 

性悪説は「法を作ろうぜ!」っていうスタンスの「法家」に影響を与える!

 

次行きましょう

 

道家

メンバー、老子荘子

キーワードは「無為自然

礼とか道徳とかそういうのって、結局人為的なものじゃない?わざわざ自然にあらがわないで、流れで行こうや

 

この道家さんたちの考え方は、今後他の思想と混じっていき、道教として確立します。

中国は儒教がメイン、とか、どの教えが台頭している。とか、そういうのではなく、色んな教えが中国の人の死生観や健康概念に影響を与えていると思います。もちろん焚書坑儒や、儒教国教化など、様々なことがありますが。

 

ともかく、道教も人々の生活に今も染み付いてると思う。

 

 

それこそ、死にあらがわず、現世を楽しく生きよう、だから今を健康に、長生きに、ご長寿に生きよう!って感じに。

宗教と思想の大きな違いは、ここにあると感じます。宗教が生まれるのは、死後の世界を自分たちなりに解釈するためであるし、死後の世界に良いところへ行けるように、現世の今をよりよく生きよう、というスタンスが強いです。しかし、これら思想から来たものは、そういうんじゃなくて、今とにかくこの現世に真正面から目を向けている。そんな違いがあると思うのです。現世が嫌だってんだったらご長寿健康なんてする気にもなりませんがな!

 

余談ですが、おなかのへその下に力を籠める「丹田」というアレもこの道教系統の発想だそうです。

 

かなり脱線した

次!

 

④法家㌠

メンバー 商鞅 韓非、李斯

キーワードは「法治主義

 

これは先ほどの儒家荀子、あの性悪説の人の考えが元にある。

 

つまり、人間はもともと悪でありますと。だから法で縛んないと何をしでかすかわからんぞと。これが法治主義

法家は秦の時代に特に活躍。商鞅と李斯は秦の皇帝に仕えた実績を持ちます。

まあなんやかんや手厳しいことをおっしゃってるようですが、現代でも世界の多くの国家が立法主義で、法律に基づいて動いていますからね。現代でもそうなのに、最初の統治で法の大切さに気が付いたのは、人間は心で何とかなります!とか言わず、現実的に物事を見ていた、と考えられるかなと思いますね!

秦の始皇帝とか、自分で「俺が始めての皇帝やで!!」みたいに自称したもんだから、目立ちたがりなイメージを勝手に持っていたけど、国の統治についてしっかり考えたってことなのかもしれないですね。

 

ただ、李斯は思想の統一として、「焚書坑儒」を行い、儒家をたくさん殺害した、てのは、さすがにやりすぎかと。

 

墨家

メンバー 墨子

キーワードは「博愛」

愛は地球を救う、みたいな響き、、、

法家の次に並べると振れ幅えぐ

 

でも、博愛が対抗しているのは、儒家

儒家みんなの敵対心買いすぎじゃないですか。。。そんだけ有名だったのかな?

 

どういう対抗馬かと言うと、

儒家の愛って、兄弟とか年長者とか、血縁の親とか、それだけに絞っちゃうの?それ以外の人には礼とか義とかないってこと?そんなの差別愛だ!みんなに対して愛を注ごうぜ!」と。

 

こう見ると、儒家の仁徳とか根本的なところには賛成していて、ただ、範囲に文句がある、そんな感じがする。そういう意味では、儒家のこと、べ、別に本当に嫌いなわけじゃないんだからね・・・!という声が聞こえてくるようなこないような

 

まあ博愛だから同盟とかそういうのなくても仲良くしましょうと。つまり国家間での戦は止めましょうと。実用面としては、外交に対するそういう意見だったようです。平和やん。

 

 

いやー話すとなっが!思想は形の無いものだから、簡単にコレ!って説明できないし、解釈によって変わってきたり、捉え方が変わったりする。

基本的には教科書とか資料とかから引き出してるけど突拍子のないことも言っていると思いますので悪しからず!

 

 

陰陽五行とか大好きなのでその辺はまた次回に!

 

今からここは中国史です②春秋戦国時代〜秦

今からここは中国史です②

春秋戦国時代〜秦

 

前回の黄河文明、受験ではサラッとやるだけだったんですけど、じっくり見ると結構神秘的な領域で、面白い時代だった!

 

次の春秋戦国時代を一言でいうと、

〈混沌and思想!〉

 

諸子百家」の時代ですよ!!

孔子とか老子とか孟子とか墨子とか…… 

 

時代の混沌は思想の発展に繋がります。

 

また同時に、この、前10世紀〜前5世紀は世界規模の「精神革命」の時代でありました。

西にソクラテス、中央にブッダ、そして東に孔子、と、有名人がどんどん出てくる。他にもユダヤ旧約聖書が書き始められたり、ペルシアでゾロアスター教が起きる、などなど。

前回までの農耕!農耕!農耕!ザ・土器!いぇあ!っていう時代との違いがわかりますね

 

 

さて、本題に入ります。

 

東に移動して弱体化した周だったけど、その権威はまだ諸侯を牽制するには十分だった

 

そこで周りの諸侯たちは、周の王を尊んで異民族の侵入を追い払うという「尊王攘夷」のスローガンを掲げながらご近所諸侯たちを取り込んで自分が最終的に強くなろうとした!

そうやってバラバラと細かくいっぱいいた諸侯は大きな諸侯にどんどん吸収されていって、「諸侯」より強めの「覇者」という存在がうまれる。

 

特に勢力を増し、代表的となった五人の覇者を「春秋の五覇」と呼ばれた。

花男でいうコレクト5である。

 

五覇のメンバーとして

・斉の桓公

・晋の文公

は確定らしいが、ほかの3人はメンバー争いがあるらしい。なんやねん。

 

そんなこんなだった、ところが!

前403年、圧倒的五覇の確定メンバーだった「晋」が家臣に国を奪われ晋は「韓」「魏」「趙(ちょう)」の三国に分けられた。(またややこしいことを…

 

これ以降からを「戦国時代」と呼ぶ!

 

一方その頃周王朝。もうなんか強そうな国は増えに増えるし、気づいた頃にはどうしようもなかった。権威は完全に地に落ち、先ほどまでの尊王攘夷なんてのはもうどっかに飛んでいってしまった。

まわりには7つの強国がわやわや、そのラインアップは

これらの「戦国の七雄」と呼ばれたつよくてカッコいい人たちがグイグイ出てくる

 

余談だけど「燕」という言葉を見てだいたい思い出すのは燕京ビールである。

その名の通り、北のビール。この頃から燕という呼び方は始まっているのだなあ

 

そしてこの時期になると諸子百家はもう大活躍!

孔子先生たちの登場です。

 

 

→強くなって国らしいものを持てるようになった覇者の方々、しかし、政治方面がプロとは限らない。

諸子百家たちは旅人のように各地を点々としながら、そんな色んなお国のトップの政治や思想の手助け、助言をする人たちだった!

それぞれの思想を見てみると、今でも中国の文化に根強く残っているものが多い

孔子による儒教だけがワンマンで、他の思想は薄れていったのかと思っていたけどそうじゃなかった。一つ一つが今でも中国の生活に染みついている。

それどころか日本にも影響を与えたものは結構ある!安倍晴明の五行とかはわかりやすい例だと思う 

 

 

今回思想の話をメインにするつもりだったけど、これだけで話が盛り上がりそうなので、今は大筋を通しといて、思想は中国史3.5としてぶち上がって行こうと思います

 

 

また、ここで

貨幣の登場を特筆したい!

バラバラに国の体制や農地開発などの発展を始め、この時期は多くの国が割と栄えていた

こうして「貨幣」が登場するようになる!商いや売り買いが行われ始められた証拠である。

 

しかもこの貨幣、青銅で作られた。青銅という素材は、前回の「青銅器」は王やら祭祀やらそういうレアな時のもの、というイメージだった。そういう意味では貨幣もちゃんと大事にされるように青銅で作ったのかな?

 

この当時の貨幣、いろんな形で使っていて、国によって使うものが違った。

 

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『世界史詳覧』より

 

燕、斉では「刀銭」

(めっちゃ持ち歩きにくそう!)

韓、魏、趙では「布銭」

楚では「蟻鼻銭」(ぎびせん)

そして1番見慣れているこの形、「環銭」は戦国末期に各国で使われるように!

 

 

→ヨーロッパがEUでお金をユーロに統一したように、貨幣は国内だけでなく、国外とも共通にすることで、面倒ごとを少なく、他国と交易ができる、だから、最初の方もご近所の国どうしでは似たような貨幣を使ったし、戦国末期には多くの国が環銭を使うようになったのかな!?

 

貨幣の統一は商業をスムーズにする

 

 

しかし、このバラバラした状態の戦国時代、力の均衡は長くは続かない。

 

戦国の七雄のうちの一国がついに中国を一つにまとめ上げる時が来る!

 

この春秋戦国時代を制したのは一体どこか!まあ名前見てだいたいわかると思うけど!

 

はいそうです「秦」です!

 

西側に広くバサーッと領域をひろげていた秦。前4世紀中頃からむちゃくちゃ強くなった。

それ以外の6国は「あ、これやばくね…?」という空気になり始める

 

「「「このままだとやられる……!」」」

 

この「秦なんか強くなり始めた問題」に対して諸子百家の一つ「縦横家」が登場する!

その解決策は「連衡策」と「合従策」の二つ。

 

①連衡策 それぞれが秦と仲良くやる

②合従策 6国がまとまって一つになり秦に対抗する(スイミーっぽい)

 

 

仲良くやるか、対抗するか。二つの意見は全く正反対の考え方だった。

 

 

しかし最終的にこの議論虚しく、6国秦によって一つ一つじっくりと滅ぼされるのであった…(ついでに東周も倒した、まだいたらしい。)

 

前221年 最後の国を倒し、ついに中国を統一!

広大な中国大陸を統一した最初の王朝である!

無論これでこそ始まりの皇帝「始皇帝」である。

 

次回!はじめての統一国家はうまく行ったのか?!かの有名な兵馬俑も登場!

 

 

今からおまけ中国史です1.5 長江の文明

今からここは中国史です1.5

長江の文明

 

 

国史①で話した通り、前5000年〜前4000年頃から黄河で文明が起きた、という話をしました。

 

しかし、真実はいつもひとつですが、中国の川は二つです。

 

川の周りに文明有り!長江にも文明がありました。

 

 

前5000年頃から「河姆渡文化」

前3000年頃から「良渚(りょうしょ)文化」

また、前16世紀頃〜前11世紀頃でお馴染みの「殷」が盛り上がり青銅器をやんややんやと使っていた頃、四川でも

三星推(さんせいたい)文化」が起きていました。

 

こちらも青銅器なのですが、なかなか性格の違う特徴的なスタイルをしています。

 

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ドーン

「特徴的」のベクトルがすごい

 

 

父曰く、会社で四川出身の人がいるんだけど、会った時、「こ、こ、こいつにそっくりやー!」って心の中でザワついたらしい。

四川の位置も東南アジアやらそっちのほうにやや近付くし、これを作った人も大袈裟にしたとかでなく身の回りの人を純粋にそのまんま現した顔だったのかもしれない?

 

 

 

こちらは四川の博物館で見られます。

 

四川に旅行した際、この三星推の青銅器が見れる博物館に行くことも考えていたのですが、都心から思ったより遠い北にぽつんとあった為断念、無念!

 

しかし、この辺の文明、世界史全般であまり触れられません。その後の発展に繋がらないから?もう少し調べてみる必要がありそう。

そして、前も行ったけどいつか別枠で土器陶磁器研究をしようと思う!

以上!

 

参考、引用

山川出版社 木下康彦、木村靖二、吉田寅編『諸説 世界史研究』

浜松書店 浜松書店編集部編『世界史詳覧』

今からここは中国史です①黄河文明から春秋戦国時代へ

今からここは中国史です①

黄河文明春秋戦国時代

 

国史をおさらいしていこうと思うのですが、もったいないのでここに記すことに。

 

美術館や博物館に行った時に、前よりもいろいろな視点で見れて面白くなるように、また、次に旅行に行った時に、ワクワクできるように!

そういう感じでまとめていけたらと思います!

 

ではさっそく《中国文明誕生期》へ!

中国では、前5000年頃から黄河流域の民による農耕が始まる。

磨製石器や彩文土器を使う新石器文明、これが「黄河文明」である!

 

この時代は、まあ、「土器!青銅器!」って感じですメインは

 

ちなみに黄河観光は、河南省鄭州がおすすめである。

鄭州はほかにも少林寺拳法発祥の地でもある。主な観光地としては、

 

鄭州黄河文化公園(黄河が見れる)

商城遺跡(殷が商を首都に置いた時の青銅器が出土したエリア)

河南省博物館(青銅器などを売りにした博物館展示がある)

 

などがあります。特に河南省博物館にはゴリゴリに鼎や鬲、甲骨占いで使った骨などが見られる。もちろん他の博物館でも見られるものかもしれないが、鄭州の博物館で見るのはまた別格でしょう!なるほど黄河文明を知りたければ鄭州に行こう。

 

土器文化の変遷区分としては

彩文文化(仰韶文化)→黒陶文化(竜山文化)

という大きな流れがある。

 

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・前4000年〜前3000年頃 彩文土器などによる「彩陶文化」(または、河南省仰韶村で最初に発見されたことから仰韶文化」とも呼ばれる。)

 

ザ・土器って感じです

 

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・前2000年〜前1500年頃 「黒陶文化」(山東省竜山鎮で最初に発見されたことから「竜山文化」とも呼ばれる。)

 

見た感じめちゃくちゃ硬そう!

硬くて軽いものは実用の点からしてとても良いですね

 

黒陶は焼成温度が高いうえに、ろくろを使うようになったことから、彩陶よりも技術が進んだと考えられる。また、殷や周に活躍を始める「青銅器」の原型ともされる。

黒陶と同じ時期に灰陶(かいとう)という土器も出土。これは厚手で粗製である。

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割とさっぱりしてますね

 

 

(いつか土器やら陶磁器の研究もじっくりしたいな、、)

 

 

また、この黒陶灰陶の時代には三足土器という、足をつけた器スタイルがありました。これらには鼎(てい)、鬲(れき)などがあります。

 

 

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(考古用語辞典より)

↑黒陶の鼎=足が細い棒、煮炊きなどに使用

 

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(中国古美術太田より)

↑黒陶の鬲=足が袋っぽくふっくらしている。穀物を蒸すなどに使用

 

 

ところで、鬲や鼎は、漢字そのままの形してておもろいなっていつも思う。以下の甲骨文字でもわかるように、この時代は漢字を使い始めた頃でもあるから、「〜白磁」とか「〜青磁」とか、漢字の意味合いで組み合わせなくても、オリジナル漢字作って一文字でドーンと書き表したんでしょうね、さすがは元祖!それにしても逆に現代まで文字見てその原型がここまでわかりやすい漢字ってそんなに無いんじゃないか?

ある意味「固有名詞」的というか、鼎や鬲そのものが、この時代から形の進化がとか応用とかが無かったってことなのかな〜

 

あと、台湾点心で有名な鼎泰丰もこの漢字を使ってますね

 

 

なお、黒陶文化の頃には牛や馬などの家畜もおり、獣骨を用いた占いも行われるようになる。甲骨文字、つまり〈漢字の始まり〉である。

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また、集落が拡大し、「邑」と呼ばれる集落が形成されるようになった。こうして「邑制国家」が生まれ、伝説レベルである王朝の「夏王朝」やら、「殷王朝」(前16世紀〜前11世紀)やらが始まった。

 

実は、竜山文化と殷の間の期間はまだぼんやりとしている所が多い、しかし、最近この「夏王朝」の存在は確率されつつある。

現在の洛陽にある「二里頭遺跡」は夏王朝の王都であったと言われている!

 

「殷」の第19代の王である盤庚(ばんこう)は商に都を定めました。

 

(先ほども述べましたが鄭州に「商城遺跡」があります。是非行ってみて)

 

 

 

さて、また土器青銅器関連ですが、黒陶や灰陶の時代から既に、見た目のスタイルの種類として、三本足で立つ「三足土器」も多くみられました。

黒陶や灰陶の時代は土っぽい「土器」。ですが、殷の初期から銅素材の「青銅器」が生まれ、この素材を使った三足ものが結構有名かと思います。

 

 

余談だけど、下手なこと言うと考古学専門の姉ちゃんにボロ叩かれそうだなァ

でも基本的に資料に忠実に記述してます

 

 

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銅を交えてるから、今博物館とかに行くと緑っぽくなってるアレです

 

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(奈良博物館より)鬲

 

お、お尻!?か、かっっわいい

 

 

さて、そんなこんなしていたらご近所に周王朝(前11世紀〜前256年)が生まれました。

場所は陝西省渭水盆地を拠点とします。

この陝西省渭水盆地エリアは、今後、秦、前漢、唐などの主要王朝の都にもなる超重要エリア!

 

周はとりあえず当時暴君と成り果てた殷の王を「牧野の戦い(前1027)」で倒し、殷王朝無事終了。殷を滅ぼしてから前770年までの周王朝は「西周」と呼ばれています。

 

さて何故この頃の周が「西」であり、定義が「前770年まで」なのかというと。

 

前770年、王は第12代幽王(ゆうおう)。ある日、西北から「犬戎(けんじゅう)」という民族がやってきます。なんか来たな、と思ったらそのまま左側から西周の都を乗っ取られました。そこで周は右へスライド逃亡、つまり、東へと移ることに。なのでそれまでは西周、それ以降の周を「東周」と呼ぶのです。

 

この事件以降、周(東周)の勢力はかなり弱体化。

 

これにより、周りに潜んでいた小さな国々的な人たちは黙っていなかった!

 

 

隙を見て我こそは我こそはと騒ぎ立て始め、時代は「春秋戦国時代」に突入します!

 

 

次回!さまざまな思想が飛び交う春秋戦国時代の幕開け!かの有名な「孔子先生」筆頭に色々現る!この闘いを制し、統一を果たすのは一体どこなのか!

 

 

参考、引用

山川出版社 木下康彦、木村靖二、吉田寅編『諸説 世界史研究』

浜松書店 浜松書店編集部編『世界史詳覧』

中国の美容院に行ったらオールする羽目になった話

やはり、現地の美容院を利用するってのはお楽しみイベントの一つですよね!🙄

 

というわけで!

12月に初めて中国の美容院に行きました💇‍♀️

海淀区に寮があった私が行った場所は北京の「中間村」!

学生が多いこの地区での身近なショッピングエリア

(予約は「大众点评」という中国版食べログホットペッパー系アプリで予約ができました)

 

ちなみに、「朝陽区」という外国大使館が多い場所に行けば日本人がいる美容室があるらしいですよ!

 

 

私の目標は

 

 

“金髪にしたい!!!!”

やっぱ今しかできないから!実は日本にいる時からずっとやってみたかったんだけどバイトとか社会生活を気にして一歩踏み出せずだった

 

 

ブリーチは漂白という意味の 漂piáo

染めることは、染rǎn

金色は金色jīnsè

パーマは卷发juǎnfā

 

 

これだけ言えれば大丈夫でしょう。たぶん

 

 

夜8時に来店

 

日本式の美容院、出てきたのはお洒落めなお兄さん。お客さんの女の人を「美女měinǚ」と呼ぶ習慣があるが、日本人だと知り、「びじょ😎」という返しをして来た。

 

内装綺麗!

シャンプーもしてくれたし、とても良いぞ!良いぞこれー

 

 

今回のカットの内容

 

とにかく思い切りたかったのでブリーチは三回、かつ、ついでに髪を染める。発想を茶色とかから遠ざけるために、「不自然な色がいい」と提案した結果、「灰色」に決定した

 

 

まず先にカットを始めました。

チョキチョキチョキチョキチョキ…

 

 

気付いたら一時間〜二時間くらいずっと切っていた。

 

 

そういえば…!友達からすでに聞いていた。

「カットの時間がめっちゃ長い。しかもサボったり、どこか行ってるわけでもない、ひたすら切っている。それなのに、すごい時間が経つ。」と。

どういうことだと思ったが、なんとなくわかった。

 

ずっと仕上げみたいな切り方をしているっっ!!!

仕上げ直前の切りそろえるみたいな動作をひたすら繰り返しているっっ!!

 

 

9時過ぎになりブリーチスタート。

 

 

待っていたら果物とクッキーを施してくれた。

果物がサービスに出るのは日本では無いことだ、めっちゃいいね、、、!

 

 

10時過ぎ

お店閉店モード。

奥の方で従業員によるカットの技術研究講座が始まった

 

11時過ぎ

何時におわる?って聞いたら、ブリーチ三回でしょ?それは四時間くらいかかるよー

って言われ、自分の中国語の聞き間違いを疑う

〆にタピオカをワイマイすることになったらしく、奢ってくれた!タピオカ!

COCOのココナッツゼリー入りミルクティーを頼んだ

 

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気づけば目の前にはタピオカとお菓子と果物。

そしていよいよiPad登場。

アプリで映画を観て時間を過ごすことに。さては、こういう長丁場に慣れている?!

 

 

12時過ぎ

まさかと思っていたが、日を跨いだ。他の従業員は皆帰宅。

映画をみているとお兄さんが「このあとね、大事な奥さんの写真が風で飛んでいくんだよ」とか「このあとね、隠れてたのバレて殴られるよ」とか後ろで10秒先の展開くらいの際どいネタバレをめっちゃしてくる。

 

 

2時過ぎ

お互い忍耐との戦いであった。映画も三本目に突入した。

 

3時過ぎ

ブリーチ三回を終え、その上に色を染めて、ついに施術完了、、、、!

やっと終わった、、、!!!

長い1日だった!!

 

お疲れ様でしたああああ!!!

 

出来栄えは結構よかったです!

 

まさか美容院でオールすることになるとは。笑

 

お兄さん会心の残業作品。

 

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結構ツヤツヤで綺麗だと思う!

 

ところで、完成後、

お兄さんから、

「評価をつけてくれたら1ヶ月染め直しタダにするよ」と言われ

先ほどのホットペッパー系アプリで評価を書くことに。しかし、二百字書かないといけないらしい。

「そんなの授業やん!」

と言ったら

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「…」

少し間があった後に

「サービスは、どうだった?」

 

 

「はい?」

 

「タピオカとか、果物とか、出てきたの、よかった?」

 

あっ()

 

良かったです

 

「内装は?日本みたいに、綺麗だった?」 

 

あっ綺麗でした

 

みたいな助言(?)みたいなささやかと共に評価コメントが完成した。

 

 

帰りは、いつもは人混みと車で溢れている大通りを、レンタルサイクルでスイスイーっと帰った。歩行者天国のような、特別な夜で、切りたての頭が風に吹かれて気持ちよかった

 

家についてから携帯を見たら、「家までタクシー呼ぼうか?」という連絡があった。惜しい!

 

しかし完成した色はめっちゃきれい!ちょっとDQNみたいになったけど色落ちして金髪になるのも楽しみだ!

ショートヘアーだけど、カットもよかった!

 

結果カット、ブリーチ三回、色染め

合わせて1000元(16000円くらい)だった

 

まあ一世一代のチャレンジとしてはよかったなと思う!

実際びっくりするほど根気強くやってくれたし、めっちゃ親身になってくれたし、結構楽しかった!笑

 

 

朝の8時から授業がありましたので、とりあえず寝ましたよ!!

 

 

学んだこと

 

昼くらいから時間に余裕を持っていくこと!

 

以上!!

 

P.S.帰国後髪を整えるために日本の美容室に行ったら、美容師さん私の金髪見て「えー!これ1日でやったの!?俺なら断るね!別日にまたきてもらうと思う!」

とのことでした。