竹林のひと

中国留学をしていました中国のことを書いてます。読みやすさを考慮していません。記事はアップしてから修正する派です。

留学が終わりました

先日最後のテストが終わり、ついに留学が終わりました。

これから新たな目標にブーストを上げるために、ここでヒタヒタに振り返っていこうと思います。

 

中国に来たばっかの時のことは今でも覚えています。

八月末の北京はまだ残暑が厳しく、刺さるような日射とガタガタだけど広い歩道、农夫山泉をお供にサンダルでひたすら歩きつぶしました。

ホテルの人のルームサービスの人が来て、部屋のものを取り変えに来てくれたあの頃の緊張、そして换吗?という言葉を覚えたこと。

 

案内してくれてた中国人の友達が帰ってしまった後、臨機応変な対応ができないのに何もわからないような外界に出るのが怖くてずっとホテルにいたかったけど食べ物を入手せねばならんのでと緊張と共に外出を決意した日

 

母はバイバイする度に泣いてたけど私は泣いたら思い入れが強くなってしまうのでできるだけ軽くバイバイした。

 

あの頃のことを今でも覚えてる。初めて現地に着いたときの感覚は自由を感じた。

 

それからいろんなところに出かけた。週末は北京市内を一人で歩いた。帽子を買ったり眉毛をいじられたり月餅を買い占めた。

初めての週末だったか、潘家园で中国語値切りチャレンジをした。

初めての旅行は上海だった。パスポートの返済を気合で執り行った。学校の事務処理の人に無理やり言って手続きしてもらった。あの時は時間もなかったのでグーグル翻訳をそのまま手渡して読ませた。

 

北京に滞在して二週間で、もう高速鉄道に乗って上海に向かった。

高速鉄道に初めて乗ったのも一人だった。緊張と失敗への恐怖で始発の電車で高速鉄道のある北京南駅に向かった。手続きから行先など色々人に聞きまくった。隣に座ったおじさんには中国語の勉強してる様子をめっちゃ見られた。

 

中国人との交流の少なさに危機感を抱き、バスケ部に申し出た。ユキさんのおかげで助けられたが、緊張で中国の人とはほとんど仲良くなりきれなかった笑

 

 

10月は日本人との交流会で人脈が増える月だった。北京で有名な日本人向け雑誌を書く人と知り合った

日中病院に行って医療の現場を見た。

日本人だらけの懇親会でうんざりしていたらなにやらおえらい日本語ペラペラの中国のおじさんに気に入られて二人だけで二次会した。なんてこともあったな

でも交流会では他に中国の友達もできて、一緒に景山公園に行ったのはとても楽しかった。

 

寮で勉強してたら内モンゴルの不思議ちゃんと勉強友達になった。突然タピオカ買ってくれたりしたときは驚いた笑

バスケの子と勇気を出して練習後のご飯に行ったら思ったよりもずっっと楽しかった。大きな一歩を踏み出した日。

あと、理工大学でバスケに行った人と天気の子見に行ったりして。

 

12月は天津に行った。福原愛ちゃんをみた。世界の終わりに会えた。中国で日本の有名人に会えるミラク

 

髪の色を抜いた。夜8時に始まって美容院の異文化的サービス精神のおかげで朝4時まで染めてた。この恩はたいてい忘れない。

 

直後インフルエンザにかかった。全力で生活をしすぎたのかもしれない。

 

新しい友達付き合いが増えた。バスケがだいぶ輪を広げてくれた。

理工大学でバスケをした。そのあとハチャメチャにおいしいものを食べた。火鍋や餃子や串焼きなどなど、、、、クリスマスの日にはケーキを食べた。

部屋の子の本気のクリスマスのおかげで部屋でのクリスマスもたのしかった、装飾をタオバオで買って部屋の子を飾り付けをした。朝起きたらプレゼントがあったときは驚いた。良い部屋だった。みんなワイルド自由人で良かった。

 

 

一月は息切れするほど旅行に行った

ハルビン、チンタオ、大連、旅順、重慶、四川、西安、福清

 

強い経験を重ねたのはやっぱり旅順大連かな。

中国語力の乏しさのせいで中国の人と一緒に廻れるチャンスを逃したときは自分の足りなさを責めた。タクシーが往復をしてくれなくて、真っ暗のなか山の頂上まで案内されて、二人で恐怖とともに駆け下りたのは一人じゃできないことだった

 

 

 

こうやって振り返ってみると、もう少し中国の人と友達になれたらよかったなと思う。笑

でも案外多くはなくても大事な友達も増えたし、それはよかった。

 

 

 

日本に帰国してきた。帰ってきてしまった、という気持ち

日本はのんびりした国だ。狭くて暗い繁華街を、静かでしっとりとした行灯の道を、人々がゆっくりと無口で歩いていくような。そんな感じがした。

帰宅直後もそんな風景が夢にも出てきた。 

夢でそんな風景の中を歩いていたら、知り合いがいた。

夢の中でだけどそれが初めて会った日本帰国後の友達のような気持ちになった。

日本に帰ってきたのだ。

 

 戦争に向かった兵隊が志半ばに帰ってまいりました!と言いながら敬礼をするような気持ちだ。

コロナから逃げてきたのだ私は。ちょっと悔しい。

 

でも良い。また中国に行きたいなー中国に行ったら何しよう

って考えたときに、タピオカと美味しいものと北京市内でまだ行き切れていない観光名所に行くこと、ぐらいしか案外頭になかった。

その辺のことなら留学じゃなくてもできる範疇だ

 

留学は10カ月しかない!とスタートからカウントダウン状態で始めてた、死ぬ前にやりたいこと全部やる、くらいのペースでやりたいこと全部やってた、おかげで、この半学期で思いつくことは大体やってたということらしい。

 

 

 

また行くから。

 

 

とにかく、語学、

初めて口語で発表があったときの内容テーマは「私の○○の理由」

私はスポーツが好きな理由。を発表した。乏しいほどの語彙力で作文中最も難しかった言葉は「健康」。この言葉をドヤ顔で述べた。

こんな私を評価してくれた人がいてくれたおかげで蹴鞠をゲットした。

最近は、世の中の社会現象、イノベーション、そしてそもそもイノベーションとは何か、天才とは先天的なもか後天的なものか、などといった概念的な話をすることができるようになった。

 

概念的な話をすることは難しかった。言葉って使い慣れているとごまかし方もうまくなってくる。結局何言ってんのかよくわかんないこともある。それに大学受験までに読んだ評論はみんなフワフワしててよくわからんからそのよくわからんところが問題になって出題される。そんな文章に触れてるとなんかむずかったらしい文章の方が格好いいのかと思うようになってさえくる。

けどきざったらしい文章を書けば先生は「意味わからん(ここまで直球でもない)」と言ってくる。どういう意味?と聞いてくる。すると意外と自分も何言ってんのかわかってなかったりする。

遠まわしの言葉は通用しないのだ。そうでなくても使い慣れていない言語で概念的な話をするのはもっともっと難しい。そうするつもりなくてもよくわかんないままとりあえず書き出していくと、気づけば勝手に意味不なスクリプトになっていく。それか具体例だけ思いついてアレのこと書きたいなーーってなって結局何の話してんのかわかんなくなったりする。

 

つまり、脳内の思考というのは、伝える段階でどんどんどんどん理解しづらくなっていくものなんだ。

脳内の思考>言語化>発信>相手による解釈

という段階のうちにどんどん自分の伝えたかったものが100%だったとして、80%、40%と落ちていくんだ。だからその為には、自分の脳内の思考はまず絶対に鮮明でなきゃいけない。そしてその次の言語化の部分も同様にめちゃくちゃ鮮明でなきゃいけない。

具体的に文章を書く上では、結論だけは鮮明にもっていないといけない。結論に向かって話を進めていかないといけない。それ以外の具体例や比喩や前置きはすべて結論をわかりやすく強化する為の補助でなきゃいけない。そうすることで余計な脱線や理解不能な主語述語のつながりを生むことがなくなるし、先生にどういう意味?って聞かれたときに全部が目的のある文だから説明できるし更に捕捉もできるようになる。

ごまかしやあやふやなことを言って雰囲気でなんとかすることはできない。ましてや外国語だ。そんなことやってる場合じゃない。外国語をつかって伝えるために意識するようになったことだ。

特にテストでは結論をとにかくはっきりはっきりと述べるようにした。そして自分が言いたいと思うこと、一つなにか利益のあることを言いたいと思った。

例えば

イノベーションとは何か

イノベーションとは人間の想像力が生み出すもの。

今までのエアコンや携帯、ネットも百年前に新聞で未来の想像図として取り上げられていたものだ。

人間が作る者だから、逆に人間が夢みたことないものは生まれない。

だから想像力を失ってはならない。今この現代でも想像しているものが将来に実現するのだ。不可能であることを想像することをやめてはならない。

イノベーションとは過去の人たちの蓄積の先にあるもの。

過去にどんな天才がいてもiPhoneやパソコンを作れる人はいない。でもその時代その時代の文字通り「先端」の技術があって初めて今のiPhoneがある。過去の偉人が努力して発見してきた技術や理論があるからこそ私たちはその偉人達が何年もかけて発見したものを一瞬で学び、その先に行くことができるのだ。学校で学ぶということは、過去の凝縮を学ぶということだ。先に行くために過去の何千年もの努力を数年で吸収する、そしてそこからやっと先に立つ、だから学ぶのだ。だから私たちは学ぶことをやめてはいけない。

 

つたないが、

結論

理由

具体例

だからこうだ。という理論

 

こんな感じで述べていくようにしました。

難しかったです。

 

 

先生に文章に彩りがあり、見識があるといわれたことはうれしかった。

 

日本語だってごまかしていてはだめだ。はっきりと自分の脳内での結論をしっかりと持って適格に述べていこうと思う。

 

 

会話は、ネトチャイを始めた。

会話内容を録音して、復習、パソコンで打ち出して反復発声。

特に、先生の口癖をまねした。そうすると、ネイティブみたいな言葉のつまり方を勉強できる笑

 

そうやって口語は以前よりだいぶ自然になったと思う。

中国人が良く使うタイプの表現を以前よりかなり学びました。

教科書の内容もをのようなものが増えたし、その辺の勉強は楽しかったです。笑

それに、自宅にいるおかげでところかまわず中国語を発声練習ができたので、発音もだいぶ矯正されました。よくウィーチャットに音声吹き込んでそれがちゃんと中国語の文字変換されるかを試して遊び半分でやっています。先生が出してくれる宿題そのものも、教科書の朗読や自分の意見を録音するという内容だったので、自宅にいても口語が練習できました。

 

本当の中国人の自然な会話って、たぶんそれでもまだまだいろいろ潜んでるとおもうから、これから先はネット社会に潜り込んだりドラマとかコメディ作とか見ていきたい。

 

中国語の単語自体も。かなり語彙も増えたと思う、し、なかなか読める単語も増えてきたと思う!

これからは一日一つ中国の新聞記事を読んで中国語を勉強し、ニュースを動画で見て形式高い内容も耳に入っていくようにしたい。もちろんその合間合間に中国人のスラング会話も織り交ぜて笑

つまりこれから先はネイティブなメディアを利用して学んでいこうと思う。ということ要するに!

 

 

とにもかくにも!

 

夏来たばっかの時は初級からやり直したいと思ってた人間で、

目標は、来る前よりも少しでも良くなるように、と思ってやってたので

 

まあ目標自体そのものでいえばクリアしました。笑

 

語学は一度始めたらその沼とは一生お付き合いというわけで、

これからも婆ちゃんになっても中国語は続けていくつもり。たぶん

 

語学オタク感がすごい。

 

あとこれ書きながら思ったけど、

英語も同じように頑張れよ。