竹林のひと

中国留学をしていました中国のことを書いてます。読みやすさを考慮していません。記事はアップしてから修正する派です。

今からここは中国史です①黄河文明から春秋戦国時代へ

今からここは中国史です①

黄河文明春秋戦国時代

 

国史をおさらいしていこうと思うのですが、もったいないのでここに記すことに。

 

美術館や博物館に行った時に、前よりもいろいろな視点で見れて面白くなるように、また、次に旅行に行った時に、ワクワクできるように!

そういう感じでまとめていけたらと思います!

 

ではさっそく《中国文明誕生期》へ!

中国では、前5000年頃から黄河流域の民による農耕が始まる。

磨製石器や彩文土器を使う新石器文明、これが「黄河文明」である!

 

この時代は、まあ、「土器!青銅器!」って感じですメインは

 

ちなみに黄河観光は、河南省鄭州がおすすめである。

鄭州はほかにも少林寺拳法発祥の地でもある。主な観光地としては、

 

鄭州黄河文化公園(黄河が見れる)

商城遺跡(殷が商を首都に置いた時の青銅器が出土したエリア)

河南省博物館(青銅器などを売りにした博物館展示がある)

 

などがあります。特に河南省博物館にはゴリゴリに鼎や鬲、甲骨占いで使った骨などが見られる。もちろん他の博物館でも見られるものかもしれないが、鄭州の博物館で見るのはまた別格でしょう!なるほど黄河文明を知りたければ鄭州に行こう。

 

土器文化の変遷区分としては

彩文文化(仰韶文化)→黒陶文化(竜山文化)

という大きな流れがある。

 

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・前4000年〜前3000年頃 彩文土器などによる「彩陶文化」(または、河南省仰韶村で最初に発見されたことから仰韶文化」とも呼ばれる。)

 

ザ・土器って感じです

 

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・前2000年〜前1500年頃 「黒陶文化」(山東省竜山鎮で最初に発見されたことから「竜山文化」とも呼ばれる。)

 

見た感じめちゃくちゃ硬そう!

硬くて軽いものは実用の点からしてとても良いですね

 

黒陶は焼成温度が高いうえに、ろくろを使うようになったことから、彩陶よりも技術が進んだと考えられる。また、殷や周に活躍を始める「青銅器」の原型ともされる。

黒陶と同じ時期に灰陶(かいとう)という土器も出土。これは厚手で粗製である。

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割とさっぱりしてますね

 

 

(いつか土器やら陶磁器の研究もじっくりしたいな、、)

 

 

また、この黒陶灰陶の時代には三足土器という、足をつけた器スタイルがありました。これらには鼎(てい)、鬲(れき)などがあります。

 

 

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(考古用語辞典より)

↑黒陶の鼎=足が細い棒、煮炊きなどに使用

 

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(中国古美術太田より)

↑黒陶の鬲=足が袋っぽくふっくらしている。穀物を蒸すなどに使用

 

 

ところで、鬲や鼎は、漢字そのままの形してておもろいなっていつも思う。以下の甲骨文字でもわかるように、この時代は漢字を使い始めた頃でもあるから、「〜白磁」とか「〜青磁」とか、漢字の意味合いで組み合わせなくても、オリジナル漢字作って一文字でドーンと書き表したんでしょうね、さすがは元祖!それにしても逆に現代まで文字見てその原型がここまでわかりやすい漢字ってそんなに無いんじゃないか?

ある意味「固有名詞」的というか、鼎や鬲そのものが、この時代から形の進化がとか応用とかが無かったってことなのかな〜

 

あと、台湾点心で有名な鼎泰丰もこの漢字を使ってますね

 

 

なお、黒陶文化の頃には牛や馬などの家畜もおり、獣骨を用いた占いも行われるようになる。甲骨文字、つまり〈漢字の始まり〉である。

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また、集落が拡大し、「邑」と呼ばれる集落が形成されるようになった。こうして「邑制国家」が生まれ、伝説レベルである王朝の「夏王朝」やら、「殷王朝」(前16世紀〜前11世紀)やらが始まった。

 

実は、竜山文化と殷の間の期間はまだぼんやりとしている所が多い、しかし、最近この「夏王朝」の存在は確率されつつある。

現在の洛陽にある「二里頭遺跡」は夏王朝の王都であったと言われている!

 

「殷」の第19代の王である盤庚(ばんこう)は商に都を定めました。

 

(先ほども述べましたが鄭州に「商城遺跡」があります。是非行ってみて)

 

 

 

さて、また土器青銅器関連ですが、黒陶や灰陶の時代から既に、見た目のスタイルの種類として、三本足で立つ「三足土器」も多くみられました。

黒陶や灰陶の時代は土っぽい「土器」。ですが、殷の初期から銅素材の「青銅器」が生まれ、この素材を使った三足ものが結構有名かと思います。

 

 

余談だけど、下手なこと言うと考古学専門の姉ちゃんにボロ叩かれそうだなァ

でも基本的に資料に忠実に記述してます

 

 

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銅を交えてるから、今博物館とかに行くと緑っぽくなってるアレです

 

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(奈良博物館より)鬲

 

お、お尻!?か、かっっわいい

 

 

さて、そんなこんなしていたらご近所に周王朝(前11世紀〜前256年)が生まれました。

場所は陝西省渭水盆地を拠点とします。

この陝西省渭水盆地エリアは、今後、秦、前漢、唐などの主要王朝の都にもなる超重要エリア!

 

周はとりあえず当時暴君と成り果てた殷の王を「牧野の戦い(前1027)」で倒し、殷王朝無事終了。殷を滅ぼしてから前770年までの周王朝は「西周」と呼ばれています。

 

さて何故この頃の周が「西」であり、定義が「前770年まで」なのかというと。

 

前770年、王は第12代幽王(ゆうおう)。ある日、西北から「犬戎(けんじゅう)」という民族がやってきます。なんか来たな、と思ったらそのまま左側から西周の都を乗っ取られました。そこで周は右へスライド逃亡、つまり、東へと移ることに。なのでそれまでは西周、それ以降の周を「東周」と呼ぶのです。

 

この事件以降、周(東周)の勢力はかなり弱体化。

 

これにより、周りに潜んでいた小さな国々的な人たちは黙っていなかった!

 

 

隙を見て我こそは我こそはと騒ぎ立て始め、時代は「春秋戦国時代」に突入します!

 

 

次回!さまざまな思想が飛び交う春秋戦国時代の幕開け!かの有名な「孔子先生」筆頭に色々現る!この闘いを制し、統一を果たすのは一体どこなのか!

 

 

参考、引用

山川出版社 木下康彦、木村靖二、吉田寅編『諸説 世界史研究』

浜松書店 浜松書店編集部編『世界史詳覧』