アドミュージアム 日本広告史から現代のデジタル広告の可能性
アドミュージアムでもらった日本広告史のパンフレットをまとめておこうと思います。
アドミュージアムは無料で見学できます。
江戸時代
町民文化が盛んだった中期から後期にかけて、商売繁盛と広告は常に隣り合わせの存在でした。それは現代の広告方法の礎のようなものが多かった。
江戸時代あの手この手の広告手段
①看板やのれん(ブランド)
見やすさ、目に留まりやすさ、そして理解のしやすさ
酒林 店先につるすことで新酒発売をしらせる。
飴屋なら飴の看板
筆屋なら筆を模した看板
その店舗の特徴が一目でわかるような看板が使われた。
②歌舞伎の劇中に広告(企業タイアップ)
『助六由縁江戸桜』は実在の店や商品名をさまざまなシーンに組み込んだ作品で、企業タイアップのようになっている。劇中にうどんや梅干し、酒のブランドを登場させた。
③チラシでの告知(マーケティング)
「引き札」という江戸のチラシが存在した。1983年日本で最初の引き札は江戸の越後屋から。越後屋は現金掛け値なし(現金正価販売)をはじめた。
④見世物(イベント)
イベントや見世物は当時から非常に人気があった。
イベントの告知にも広告は利用された。引き札や錦絵が人気で、イベントの地そのものも、広告の場であった。
⑥すごろく(ゲームアプリ)
絵双六は比較的手軽な娯楽として民衆によく遊ばれていた。
店の名前や商品が織り込まれた広告用のものがあり。それらは景品として配られ、広く楽しまれた。遊びの中に宣伝を入れたゲームアプリさながらである。
⑦錦絵(ファッション)
江戸の錦絵はまるでファッション広告のようであった。錦に大胆に描かれる女性の姿。纏う衣服は流行や新作のデザイン。錦絵を見てこの着物が欲しい、とわくわくした女性が多くいたに違いない。
⑧有名人による推薦(SNS)
幕の合間に市川團十郎と岩井紫若が二人でポーズをとり、歯磨き粉の紹介をする。
まさに生CMの様子である。歌舞伎を見に行った人はこれを目にし、人々の間で口コミによって広がっていった。インスタグラマーのようなものでしょうか。
⑨おまけ品
当時既に木版印刷が盛んであり、出版活動にも拍車がかかっていた。
錦絵や絵入りの小説本を店が独自に制作し、景品として配っていた。
仙女香
仙女香はどんなメディアにもあざとく入り込んでくるクロスメディア戦略をことごとく行ったブランドで有名。「仙女香やたら顔だす本のはし」と読まれる川柳もあったという。
江戸の広告仕掛人
平賀源内 キャッチコピーに優れた発想力をもった。土用の丑の日にウナギを食べる習慣をつけた当該人。
式亭三馬 浮世風呂などの滑稽本を出版。その一方で化粧水や売り薬を発売したり、広告を手掛けた。
蔦谷重三郎 出版社のオーナー的存在。新人作家の発掘、プロデュースを行った。
十返舎一九 東海道中膝栗毛や諸国道中金のわらじなど、ベストセラー小説をいくつも手掛けた。文筆収入だけで生計を立てた第一人者。
山東京伝 オリジナルの紙たばこ入れを自らデザインしたマルチクリエイター。
明治以降の広告史
明治
時は文明開化。印刷技術とメディアが発達した。新聞や雑誌というニューメディアが登場し、それらがメディアの中心になっていく。広告を取り次ぐ広告代理店が誕生し、新しい段階に移行していった。
「広告」という言葉もこの時代に登場した。
たばこ産業では国産品と船舶品の広告合戦があり、景品や街頭宣伝などさまざまな販売促進のアイディアを競った。まるで現在の携帯会社の広告宣伝合戦のようだ。
また、この時代は内国勧業博覧会が盛んに行われた時代でもある。
欧米の文化を伝え、国内産業を広めるために、明治新政府は殖産興業というスローガンを出し、全国各地から産物や名品が登場した。
このような博覧会は近代日本のショールーム的役割を果たした。
大正
経済発展、都市化が進んだ。時代は大衆消費社会へ。
大正モダニズムが開花し、いまでも愛されるような広告が多い。
西洋から写真と印刷技術が導入され、広告はより技巧的なものになった。
企業の中にも宣伝を専門とした部署がおかれたり、スタークリエイターが存在したりと、更にアイディアを競うようになっていった。
片岡敏郎による赤玉ポートワインのポスターはヌードの女性が一目を引く衝撃的なものだった。白黒の写真に一色だけ鮮やかに澄み切った真っ赤なワインがよく映える。
また、この時代からカルピスなどをはじめとした商品が存在した。
大衆消費社会で景気も好調。雑誌も多く創刊された。女性や子供むけの雑誌が多数発売され、その中にも広告メディアとしての力をもつようになった。
昭和
戦時
昭和初めは大正モダンから昭和モダンへの移行があり、西洋文化を多く取り入れ、国際性とモダニズムの風潮が見受けられた。和服から洋服を着た広告が増える。
観光業も盛んになった。船による海外航路や鉄道網などのインフラが整備されていき、観光のPRも行われるようになった。
やがて時代は戦争へと突入。広告は商品の販売促進をするものは減少、戦意高揚のスローガン的要素が増えていった。このようにして広告にも冬の時代が訪れた。
戦後
経済の立て直しが始まり、やがて、もはや戦後ではない。と言われるまでの発展を遂げていく。
民間テレビの放送が開始され、テレビが広告メディアの主流となった。駅や繁華街の街頭テレビに人々が集まった。
1964年にはオリンピックが開催されたこときっかけに家庭でのテレビ普及率が向上。マスメディア中心の時代になっていく。ちなみに東京オリンピックにて初めてシンボルマークが制定され、また公式ポスターに初めて写真を採用した。
大量生産、大量消費が本格化していき、広告に多様性が生まれていく。
広告も再び商品の促進販売によるものが増えた。
マイカーブームが起こり、車の広告が登場。また、日焼けをした健康的な女性という、新たな女性美を表現した広告も登場した。
日本で初めての万国博覧会が大阪で開催された時代でもある。
そして、テレビCMはカラーになっていく。大量生産、大量消費の時代に疑問を投げかけ、人間らしさの回帰を問われるようになっていき、モーレツからビューティフルへ、という時代の新たな変化が起き始めた。
そのほかにも、キャラクター、パロディ、広告コピーなどの利用、オイルショック後の省エネ思考、女性の自立、感性に訴える広告といった多様な広告が創造されていった。
明治以降の重要広告立役者
福沢諭吉 時事新報では早くから広告を重視し、商人に新聞広告の勧めを説いていた。
岸田吟香 新聞で商品記事を書くなど、巧みな宣伝活動を展開。錦絵の中に宣伝文を組み込むなど凝った広告を世に出した。
杉浦非水 三越の社員として㏚誌の表紙デザインやポスターで一世を風靡した。アールヌーボを取り入れた曲線的で美しいデザインじゃ大正時代のモダンなイメージを促進した。
片岡敏郎 森永製薬やサントリーの広告で活躍した。赤玉ポートワインが特に有名である。
岸本水府 福助やグリコの広告で知られるコピーライター。福助の漫画広告やグリコの豆文字広告、展覧会など、新しい企画を多く生み出した。
吉田英雄 広告は科学と芸術の融合であるという信念をもとに、民間ラジオ、テレビ放送局の設立に尽力した。
亀倉雄策 1964の東京オリンピックのポスターをはじめとしたさまざまな企業ロゴを手掛けた昭和を代表するデザイナー。
やがて、時代はデジタルへ。
ここからは自分の考察です。
現代の広告の幅はどこまで広がっていくか。
看板、折り込みチラシ、回覧板、イベント、ファッション雑誌、今でも多くの人目のつくところには広告があります。
テレビのCMもシリーズもので注目を集めたり、ちょっとしたパロディのCMもあります。エーシージャパンのような代理広告もあれば、ジャパネットタカタのようなテレビショッピングもいまだに存在します。
通勤するというその一つの流れの中にも、最寄りまでの道の店、駅のホーム、電車の中、都心のビル、いろいろな場所に広告があります。
広告は電子化していき、何年か前に山手線の電車広告がすべて電子広告に変わるなどの変化もありました。
またスマートフォンの普及により、私たちの手元には常に自分のためのデジタル機器を持つようになりました。これは、常に迅速な広告を目にすることができるようになったというだけでなく、広告を目にする機会がさらに増えた、ともいえるでしょうか。
無料アプリはlog in時など、ある特定の動作の中に広告を組み込んできたり、動画アプリでは動画の前にCMが流れてきます。また逆に、CMを飛ばして楽しめることを有料コンテンツとしてサービスを展開しています。
しかし、残念ながら、受け手である自分の感覚としては、このような広告は非常に煩わしいものと感じます。広告に却って嫌悪の感情を持ちます。これは本来あるべき広告ではないと感じています、商品にもマイナスのイメージを持ちかねません。
インスタグラムでもストーリーや投稿の間に広告を挟んできます。最近ではインスタグラマーというインフルエンサーを利用した広告もあります。これらは自分の信頼している人や、インスタ上でのセンスに共感を持つ人々に効率よく紹介することができるので、購買意欲も上がり、耳を傾けようとする人も多いでしょう。それぞれの媒体に、それぞれ趣向にの似た人たちが集まるので、その点でも購入につながりやすいと思います。
しかし、難点としては、見つけられない人や、つながっていない人の目にはつかない、限られた人にしか広告効果がなく、個人的な口コミに近く、少しばかり効率が悪い点もあります。
一人に一つ自分のデジタルがある。
私はこれによって、広告は今よりもう一つ新しい展開を見せることができると思います。例えば、広告は見せる相手をさらに選べるようになっていくと思います。
ターゲットを正確に絞った広告を見せることができます。
最近は、「参加する」広告も増えてきました。例えば、Twitter上での本田圭佑のじゃんけんチャレンジなどです。リツイートをすることで一目につく機会をさらに広げていきます。
インスタグラマーやTwitterのリツイートのように、今では消費する側だった人たちが、広告の役割を果たして発信する立場に逆転する、という状態も起き始めました。つまり、広告の大衆化、ともいえるのでしょうか。
デジタル上での広告はどんどん散漫としていき、良し悪しに問わず人目に触れるようになりました。これによって、受け手も情報を選ばなくてはいけないので、広告を見て興味を持ったという感情から、買うという行為までの間に距離が生まれてきていると思います。
消費者に的確に近づいていく時代
中国のアフターデジタル的な思考ですが、今消費者はオンとオフを自由に、境界なく行き来する、そんな時代になったともいえます。
タオバオがコンビニとネット販売の両方を用いて顧客の興味や注目度のデータをとる、といった方法をとっているように、常に調査と実行を早く移行できる世の中になりました。その商品が気になって、どの商品は手に取って戻したのか。人々の興味から、購入後の顧客データまで。選べるようになってきています。つまり、趣向の似た人を、インスタグラマーを経由しなくても見つけることができるようになる。年齢、性別、健康状態などから相手が欲しくなるような広告を届けやすくなるでしょう。
これらの変化が、新たなヒントになるのでしょうか。
中国のデジタル配信の面白い話
ちょっと違う話になりますが、中国の話で、SNS上で少し有名な人が、自分のおすすめの商品を生配信をすることで、多くの人の目に触れさせる、というビジネス領域がある、という話を聞きました。日本でいうと、インスタグラマーが商品を紹介する要領でしょうか。しかし、生配信である、というのがデジタルとアナログを繋げることを得意とする中国ならではだと思いました。というのは、生配信をすることで、見ている側はサイズや質感、着け心地など、気になる点をその場で聞くことができます。配信する側も受け手に売れてほしいので、どんどん発信します。衣服を紹介するならば、配信者が実際に試着してみて、自由に動いてみたりします。面白いのは、靴を紹介するといったときには、配信者の背景にたくさんの靴が並べられていて、それぞれに番号が振られています。コメント欄に番号を言うと、配信者がその中で特にリクエストが多いと感じたものから紹介していきます。まるで目の前で買い物をしているかのようです。ほしいと思った人はその場で決済をすれば、あとは荷物が届くのを待つのみです。中国でよく利用している人によると、決済をした人がどんどん通知されるので、自分も買いたくなっちゃう、と言ってました。
なぜ、視聴者はわざわざそこに集まるのか。これはテレフォンショッピング寄りの商売方法かもしれません。というのは、その配信期間中に購入すると、定価よりも少し安く購入できる、というのです。元から気になっている商品を紹介する、なんてことがあったらきっと見に行ってしまうことでしょう。中国の割引精神には日本にはないものがあります。そして、デジタルとアナログの中間のような、目の前で買い物しているようにも感じるし、デジタルで買うことのメリットもある。そんな商売が中国は比較的得意に見えます。
これも新しいヒントになるかもしれません。
デジタルもアナログもすべて等しく人々が参加する。
平成が終わり、令和の広告はどのように広がっていくでしょうか。